カテゴリ:直島の思い出( 67 )

52年ぶりのカミングアウト^_^

52年ぶりのカミングアウト^_^

昨日のレゴの実験から思い出したことです。

ちょっと下ネタになりますのでお食事前や中の方は後でお読みください。

私は小学校は香川県の直島という小さな島でした。

小学校二年の休み時間に、私は鉛筆の先を保護するプラスチックのキャップを飲んだら消化されちゃうのか?それともそのまま出てくるのだろうか?という素朴な疑問が出てきました。

口に入れては出し、入れては出ししているうちに謝ってゴクリ(> <)

誰も見ていたなかったものの飲んだ瞬間からもしどこかで詰まって死んじゃったらどうしよう…という不安が出てもう授業どころではありません。かといって吐く勇気もなく誰にも言えず家に帰りました。
当然ですが両親にも言えず布団の中で痛くなったらどうしよう、そのまま死んじゃうのかな?と不安のままいつしか寝てしまいました。
朝ごはんもあまり食べる元気もなく、当時の私の日課、食後のミルクを飲んでしばらくしたらウェーブが来ました!

当時のトイレは汲み取り式で落ちた○んこを見たらキャップの先が見えてました!

ヤッタァ!出たぁ‼︎助かったぁ^_^
もう嬉しくて誰かに言いたいものの言えなくて52年…

それにしてもまさかこんな形で言うことになるとは思いませんでした(^^)v


by booska1958 | 2018-11-30 05:10 | 直島の思い出 | Comments(0)

直島時代に一瞬にしてワープ!

直島時代に一瞬にしてワープ!

私は3歳から11歳まで香川県の直島に住んでいました。
今はベネッセアートサイト直島として瀬戸内海の芸術の拠点となっています。
当時は三菱金属の銅精錬所があってそこの病院に父は勤務していました。

当時、私に与えられていたのがこのレコード。
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アーサー・フィドラー指揮のボストンポップスオーケストラのマーチ集。
写真は割と綺麗に写っていますがもうかなりボロボロです(^_^;)
これを聴きながら指揮者の真似をしていました。
そして今日、50年以上経って針を落としました。ノイズも多いけどその当時の記憶が蘇ります。母も一緒に聴いてやはり直島の社宅の風景がすぐ浮かんだそうです。

引っ越しが多かった我が家はその都度ものが失われていき当時のものは殆どないだけにレコードが音で蘇ってくれたのは本当に嬉しかったです。
これからも大切に聴きます(^ ^)

by booska1958 | 2018-08-11 16:24 | 直島の思い出 | Comments(0)

直島の思い出 〜オニユリとクロアゲハ〜

母の庭にオニユリが咲き始めました。

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オニユリを見ると思い出すのが直島。

私がクラブの近くでセミをとっている時に少し桜の木の影に咲いていたのがオニユリでした。

暗いところにキレイなオレンジのコントラストがとても好きでした。

そしてそこにやって来るのはアゲハ蝶は普通のアゲハ蝶ではなくクロアゲハでした。

クロアゲハがオニユリの花にいる姿は本当に美しかったです。

ぼっーと見ていて蚊によく刺されましたf^_^;)

オニユリは私にとって直島を思い出させる大切な花なんです。

by booska1958 | 2014-07-29 21:55 | 直島の思い出 | Comments(0)

暮らしの手帖が楽しみでした

母が直島にいた頃に良く買っていたのが「暮らしの手帖」。

内容はともかく、この装丁がいつも楽しみでした。

この本のデザインをしていたのが花森 安治さん。
一人でこの本を作っていたようなものです。

この絵いいねと言った時に母がこの人だよとたまたま「暮らしの手帖」に出ていた本人を指しました。
「でも銀座をスカートはいて歩くような人だからねぇ」

の一言にやはり小学3年生の私は引いてしまいました。
どう考えても男がスカートは...
花森 安治=スカートの印象が出来てしまいました。

でも、それを差し引いてもその装丁や挿絵は大好きでした。

そんな花森さんの画集が出ています。
シンプルですが暖かいラインをもった画集です。

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見ていると何となく直島の時代が頭の中に蘇ります。

by booska1958 | 2012-06-14 00:03 | 直島の思い出 | Comments(0)

直島の思い出  ~茶柱が立ってるだけで兄弟げんか~

兄弟げんかはひょんなことから起こります。

良く茶柱が立つと縁起が良いと言われています。
でも我が家ではそれを人に指摘されると逆になると言われていました。

ですから、自分のお湯のみに茶柱が立っても
黙っていて一口飲んでから「茶柱が立ってる!」と宣言していました。

そんなですから、当然、妹の湯飲みに茶柱が立とうものなら
先に宣言します。
そして「逆もまた真なり」
妹から先に言われることもあり、そうなるともう大変。

あることないこと言い合いが始まり挙句の果ては取っ組み合いになることも。
そういえば、「ふうぽん」と「あ~ぽん」はそんなことなかったなぁ。

たかが茶柱で大げさでした(笑)
最近は急須に網がついているのでまず茶柱にお目にかかることもないですね。


でも、最近はこんな製品も・・・
「茶柱縁起茶」といいます。

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八女茶と茶柱がセットになっていて、
この茶柱には茶柱の片端を軽くして浮力をつけ、
必ず立たせるようにしてあります。
茶柱も食べられるそうです。

縁起袋入りのものもあり、受験生なんかにもいいですね。
来年は「ふうぽん」も大学受験。
買ってみようかなどと思う親心・・・妹にも伝えたかったな。

by booska1958 | 2012-01-27 04:27 | 直島の思い出 | Comments(0)

直島の思い出 ~台風への備え~

台風15号の進路心配ですね。
直島にいる時は台風が毎年来ておりました。


台風が来て心配なのは家のことです。
当時の木造の家は雨戸を閉め、飛ばないように木で打ちつけ、雨漏り対策をします。
吹き込む雨で雨漏りする場所は決まっているので
そこに洗面器かバケツを置きます。

兵糧としてサツマイモを焼いたものを準備します。

なにせ、停電、断水は当たり前で、
懐中電灯、ろうそく、置き水の準備も怠りなくしておりました。
コンビニ・デリバリーはもちろんありません。

叩きつけるような雨風を凌ぎながら
雨戸の隙間から外を眺めセミの無事を祈るばかりでした。

by booska1958 | 2011-09-21 00:01 | 直島の思い出 | Comments(0)

ブログからの直島繋がり(^-^)/

先日、ブログにコメントいただいた方が同じ鷲の松に住んでいた方でした。

しかも私と妹(同級生です)と一緒に映った写真を送って下さいました。

1963年、私が五歳の時です。

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もう一枚は1968年、十才の時の写真。

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どちらも見た事があるのですが、
度重なる転居で小さい時の写真の多くは
行方不明(涙)

これ以外にも祭りや運動会の写真を送っていただきました。
とても嬉しかったです。

M君、ありがとうございます。

by booska1958 | 2011-09-20 08:42 | 直島の思い出 | Comments(2)

直島の思い出 ~赤い糸だったのかな? みかちゃん人形~

直島に住んでいた頃、リカちゃん人形が流行っていました。

男の子の私には興味がなかったのですが、妹はやはり女の子(当たり前か)。

リカちゃんが欲しいと言っても買ってもらえません。
これは「かっか」も同じだったそうです。

さてそんな妹に母が作ったのがお手製の布製のお人形。
妹はリカちゃん人形とは似ても似つかないそのお人形をいたく氣に入り
「ミカちゃん」と名付けました。

私は当時叔父からもらった犬のぬいぐるみ(通称;ワンコロリン)を持っていて
二人でこのお人形たちで遊んでおりました。

私は時にはかわいがり、時には憎たらしいことをする妹の代わりにいじめたりしておりました。
私にとっても大切な思い出の人形です。
あまりに妹がかわいがるので、お人形は妹の汗と涙と鼻水で顔が薄汚れて来たのですが、
肌身離さずもっていました。
腕がほつれてきたのを機にやっとの思いで母がリニューアルをしたほどです。


さて、時は移り私も家族を持ちました。
通称「かっか」の私の妻の名は「ミカ」です。
何だか赤い糸を感じてしまいました。

そんな妹も悪性リンパ腫で亡くなり、ミカちゃん人形もいまはどこにいったのかなぁ。

by booska1958 | 2011-08-11 05:28 | 直島の思い出 | Comments(0)

直島時代にあった山火事

直島諸島の一つ、井島(石島)の火事は島の殆どを焼失したそうですが
怪我人などがいないと聞いてほっとしています。

2004年に直島本島でも山火事がありました。
TVでもその映像が流れて心配しました。
3月に直島に行った時にもまだその焼けた山肌が残っていました。

私が住んでいた昭和30年後半にもいちど直島で山火事がありました。
火災の場所は住んでいるところからは離れていました。
今は岡山から水を供給されていますが、当時は小さなダムくらいしかありません。
消火の水がなくなったらどうなるのか、青い空が赤くなっていたのを見たときは、
足が震えました。
母親にどこに逃げるのなんてしつこく聞いてました。
「お兄ちゃん、怖がり」などと妹に馬鹿にされましたが、
当の妹だって大事なみかちゃん人形を肌身離さず持っていました。

当時は、当たり前のように家庭にマッチがあり、
火遊びにはずいぶん厳しく怒られた氣がします。
失火の原因はわからなかったのですが、
小学生の火遊びが原因という噂が流れ、
誰だろうと話したこともありましたし
学校でも火の扱いを注意されたのは覚えています。

いずれにしても火災は嫌ですね。

by booska1958 | 2011-08-10 22:47 | 直島の思い出 | Comments(2)

直島銭湯はNAOSHIMA BATH、こちらはNAOSHIMA BUS

直島には生活バスとして私がいた昭和30年後半から40年前半は南の本村港から北の風戸(せと)港まで島を縦断する1ルートでした。

今は町の真ん中の宮之浦港から2ルートでています。
バスもコンパクトになりましたがカラフルです!
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でも、当時のバス停がトトロに出てくるねこバスのバス停と言うところに残っていました。
ほんもののねこバスが来ると思った「ゆうぽん」はなかなか離れません(笑)
子供は素直ですね。
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当時の面影のバス停がいっぱい。
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私の住んでいた鷲の松のものはほとんど読めませんがありました!
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こんな形でも当時に触れられるのはありがたいです。

by booska1958 | 2011-04-16 08:40 | 直島の思い出 | Comments(0)