40年前の今日、第2の誕生日なんです(^^)
長文になります。
お付き合いください。
ちょうど40年前の今日、私は福岡で迎えました。
15歳の中三の残暑の厳しい日でした。
この日従妹のバレーの発表会があったのですが、
私はあまり氣乗りしないため何か口実はないか?と探しておりました。
そして「今日は数学の参考書を買うから行かん!もう高校受験まで半年もないっちゃけん!!」
親にとっては勉強関係の話は弱いですよね。
あっさりOKしてくれました。
私が住んでいる南区から天神の本屋さんまで行って、
ちゃんと数学の問題集を買ってバスで帰りました。
時間は午後3時過ぎ。
バスを降りて車来てないなと思いつつひょいっといつものように道を渡ろうとした瞬間、
車の近づく氣配が…
「あっ!」と思った時にはすでに車の上でした。
このタイプのトヨタコロナでした。
幸いはねられるわけでもなく、車が止まるまでボンネットに乗っかって
車が止まった時に転落。
右側頭部はボンネット、左側頭部は地面で強打しました。
口の空いたバスの運転手の顔と目をつぶっていたタクシードライバーの顔だけは強く覚えていました。
鼻には土の乾いた香りがします。
立ち上がろうとしたら視野がグレートーンになって魚眼レンズのように周囲が歪んで狭くなっていきます。
商店街の方が動くなと言って担架の代わりにベニヤ板を持ってきてくれて
それに乗っけられて側道へ。
側に外科の医院があったのでそこに連れて行かれました。
入院中の人が窓やベランダから覗いています。
そこに看護師の方がやってきて私をジーッと見て一言。
「先生はゴルフでいません。」
見せもんじゃないし歩いて帰ってやるよ、でも救急車に乗れるかなとバカな事を思っていると、
運んでくれた方が「救急車呼ぶよりそのはねたタクシーで運んだ方が早かっ!」
と言ったので一瞬何だか希望を失ったような氣になり、意識が遠のきました。
そこから意識が戻るまで約半日、いわゆる臨死体験をしました。
結局2か所断られて3か所目の整形外科の先生の所で受けてもらえました。
結局そこに1か月半の入院と2週間のリハビリ生活を送ることになりました。
少し体調が良くなった頃警察の方が調書を作りに来ました。
開口一番、「君に会えるとは思わなかったよ。加速して60Km/hを超えた車にぶつかったら
はねられて全身打撲か、途中で落とされ轢かれて内臓破裂か、
フロントガラスに頭突っ込んで頚椎骨折で95%以上の確率で死ぬんだ(40年前です)」
と言われました。
私はとっさに問題集の入ったバックでよけようとしました。
このバックがちょうどミラー(当時はフェンダーミラー)に引っかかるような感じで
フロントガラス直撃を防ぎ、止まるまで落ちなかったようです。
その上で警察の方のお話では3割は君に過失があると言われました。
自分も悪いとはいえ当時はそれは恨みました。
高校入試も希望校には入れなかったのですから。
でもこの事故の後出会った家庭教師の方とこの時に買った数学の問題集を
入試ギリギリまで解き、
高校に入る時には事故のブランクで苦手意識が芽生えた数学が好きになりました。
あれから月日は流れて40年…
今はもちろんこの事故に感謝しています。
父の後をちゃんと継いで医療を通して社会貢献できて、良い家族にも恵まれ良いスタッフにも恵まれ、
そして良い仲間にも囲まれて今日をしっかり生きています。
今の自分がここにいるのはこの事故があったからだと言えます。
だから今日は僕のもう一つの誕生日なのです。
お付き合いください。
ちょうど40年前の今日、私は福岡で迎えました。
15歳の中三の残暑の厳しい日でした。
この日従妹のバレーの発表会があったのですが、
私はあまり氣乗りしないため何か口実はないか?と探しておりました。
そして「今日は数学の参考書を買うから行かん!もう高校受験まで半年もないっちゃけん!!」
親にとっては勉強関係の話は弱いですよね。
あっさりOKしてくれました。
私が住んでいる南区から天神の本屋さんまで行って、
ちゃんと数学の問題集を買ってバスで帰りました。
時間は午後3時過ぎ。
バスを降りて車来てないなと思いつつひょいっといつものように道を渡ろうとした瞬間、
車の近づく氣配が…
「あっ!」と思った時にはすでに車の上でした。
このタイプのトヨタコロナでした。
幸いはねられるわけでもなく、車が止まるまでボンネットに乗っかって
車が止まった時に転落。
右側頭部はボンネット、左側頭部は地面で強打しました。
口の空いたバスの運転手の顔と目をつぶっていたタクシードライバーの顔だけは強く覚えていました。
鼻には土の乾いた香りがします。
立ち上がろうとしたら視野がグレートーンになって魚眼レンズのように周囲が歪んで狭くなっていきます。
商店街の方が動くなと言って担架の代わりにベニヤ板を持ってきてくれて
それに乗っけられて側道へ。
側に外科の医院があったのでそこに連れて行かれました。
入院中の人が窓やベランダから覗いています。
そこに看護師の方がやってきて私をジーッと見て一言。
「先生はゴルフでいません。」
見せもんじゃないし歩いて帰ってやるよ、でも救急車に乗れるかなとバカな事を思っていると、
運んでくれた方が「救急車呼ぶよりそのはねたタクシーで運んだ方が早かっ!」
と言ったので一瞬何だか希望を失ったような氣になり、意識が遠のきました。
そこから意識が戻るまで約半日、いわゆる臨死体験をしました。
結局2か所断られて3か所目の整形外科の先生の所で受けてもらえました。
結局そこに1か月半の入院と2週間のリハビリ生活を送ることになりました。
少し体調が良くなった頃警察の方が調書を作りに来ました。
開口一番、「君に会えるとは思わなかったよ。加速して60Km/hを超えた車にぶつかったら
はねられて全身打撲か、途中で落とされ轢かれて内臓破裂か、
フロントガラスに頭突っ込んで頚椎骨折で95%以上の確率で死ぬんだ(40年前です)」
と言われました。
私はとっさに問題集の入ったバックでよけようとしました。
このバックがちょうどミラー(当時はフェンダーミラー)に引っかかるような感じで
フロントガラス直撃を防ぎ、止まるまで落ちなかったようです。
その上で警察の方のお話では3割は君に過失があると言われました。
自分も悪いとはいえ当時はそれは恨みました。
高校入試も希望校には入れなかったのですから。
でもこの事故の後出会った家庭教師の方とこの時に買った数学の問題集を
入試ギリギリまで解き、
高校に入る時には事故のブランクで苦手意識が芽生えた数学が好きになりました。
あれから月日は流れて40年…
今はもちろんこの事故に感謝しています。
父の後をちゃんと継いで医療を通して社会貢献できて、良い家族にも恵まれ良いスタッフにも恵まれ、
そして良い仲間にも囲まれて今日をしっかり生きています。
今の自分がここにいるのはこの事故があったからだと言えます。
だから今日は僕のもう一つの誕生日なのです。
by booska1958 | 2013-09-15 12:59 | 理事長のプライベート | Comments(0)