直島の思い出 ~将来は・・・~

親が子供に必ず聞く質問に「将来何になりたいか?」です。
私もご他聞に漏れず、子供達に聞いてしまいます。

私は将来何になりたいか?と小学校1年の頃両親から聞かれたときに私は医師になるとは言っておりませんでした。

バスの運転手さんになる!でした。

私が小学校1年の頃には、バスが2台ありました。1台はボンネットバスでした。
ワンマンバスではありません。
必ず運転席の横に陣取りともかく狭い島の中であの大きなバスを操るテクニックに完全にやられていました。
家に帰ると椅子に座り、物差しのシフトレバー、お盆のハンドルで運転の復習です。
男の子ですね。

島でもラッシュ並みにあふれんばかりの人が乗ることがあります。車掌さんが車を降りて押し入れているうちにドアがしまり、車掌さんを乗せ忘れてバスが動いた事もあります。
乗客の「車掌さんがいないよ」の声に発車してから氣づいた運転手さんが途中で待っていると、はぁはぁと息を切らせながら車掌さんが走ってくるというような、漫画的な光景も本当にありました。

小学校1年の1学期だけはバス通学がOKでした。定期券を持ったことの嬉しさは格別でした。
入学当初バスの車庫は直島小学校から私の住む社宅とは逆方向でしたが、よく遊びに行きました。
最初は見に行くだけでしたが、そのうち、車掌さんや運転手さんと仲良くなり、止まっているバスだけでなく、タクシーにも乗せてもらって感激しておりました。当時、島には自家用車は数台しかない時代です。

そのうちバスの掃除まで手伝うほどの入れ込みよう・・・
自分で掃除したバスに最初に乗せてもらい家まで帰るときの何ともいえない充実感はたまりませんでしたが、帰りが遅くなり(皆学校から即帰りですから)母は心配していたと同時に、バス会社で掃除までしたと話したらあきれておりました。

その後歩いて通学するようになってからはバス会社に遊びに行く事はなくなりました。
一学期間だけでしたが、とても懐かしい思い出です。

by booska1958 | 2007-11-06 00:02 | 直島の思い出 | Comments(0)

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